Categories: 日記

自分が変えられない

不安と不満ばかり・・

田舎に暮らす私にとって、日常は不安と不満ばかり。

仕事に不満。

家庭に不安。

なかなか思い通りにいかない。

あと数年で40歳になろうとしている。

家族もいて、子どももいる。

目的が有るような無いような毎日を送る。。

コロナ禍の時代でも会社は、多少の傾き程度で済んでいるため、仕事もあり、給料もそこそこ。

家庭も円満というほどではないにしろ、まずまず良好。

しかし、私は毎日毎日、不安と不満の感情と気持ちに追い込まれる。

傍から見たら、たぶん気づかれない。

でも、毎日毎日追い込まれる。。

こんな書き方をしていますが、「うつ」ではありません。たぶん・・

かなり冷静で物事の判断も調子が良い。

病院には行っていないので、本当に「うつ」かどうかはわかりません。

不安と不満の根底にあるもの

私、じつは会社の後継ぎ的なポジションにいます。

親がオーナー社長であるため、このまま大きな問題を起こさなければ、たぶん後を継ぎます。

見出しにある、不安と不満の根底にあるものの正体は実は理解できています。

シンプルに言うと親との確執です。

現状の会社では、母親が社長、私が取締役管理職の立場なのですが、お互いに考えることが全く違うため、なかなか相容れません。

会社の規模は、平凡な中小企業で億の売り上げはありますが、食品関係の仕事であるため、基本は薄利多売の商売です。

社長は、100%現在主義者です。

過去も未来もほぼ考えません。

「なんとかなるさ、のその場しのぎ経営」です。

私は、未来志向がだいぶ強い考えをしており、過去・現在よりも未来に向けて行動するタイプです。

人によっては、味方になってくれる方や否定する方がいるかもしれませんが、

社長を否定する理由は、過去から現在にかけて、全く成功していないためです。

私が未来志向が強くなる一番の原因は、社長のその場しのぎに嫌というほど厳しい経験をされられており、その責任や尻ぬぐいを恐ろしいほどにやらされてきました。

若いうちは、自分に経験値をつけて成長させるためにやっていると思っていたのですが、仕事で親子喧嘩になった際に本音をぼろぼろ喋ることで私は、社長を心底許せないという思いに変わっていきました。

真相

社長と喧嘩になった時に社長は、私にこう言いました。

「働かせてるだけ、ありがたいと思え。」

「おまえには給料払いすぎているくらいだ。」

「楽ばかりしやがって。」

状況を知らない方では判断しにくいですよね。

私の給料は、地元の平均よりも低く、休みは、平均すると週1回未満です。

重労働ではありませんが、管理職ということもあり、業務は、製造・事務・配送・営業と何でもします。

社長からすると私は、都合の良い小間使いです。

連続勤務時間の最高は90時間を超えた経験があります。

休憩時間は、1時間程度です。

ブラックにも程があります。

ニュースで見る、時間外労働時間の基準は、私にとっては理解できないレベルです。

他の従業員は、ここまでひどくありません。

あくまで社長が誰よりも私を利用しようとしているのです。

後継ぎ的なポジションという表現を始めに言いましたが、本当に私が継げるのか確信が持てないのです。

社長である母は、会社のお金を絶対に他の人にはにぎらせません。

当然わたしもです。

会社で払うお金を建て替えることなんて珍しくありません。

なぜ、辞めないのか・・

ここまで読まれた方は、疑問に思うでしょう。

そんなとこ、辞めればいいだろうと・・。

一度、辞めたことあるんですよ。じつは。

その時にも喧嘩になり、私に非が全くない状況で、社長から謝られなければ、納得ができない事件がありました。

その時の勢いと怒りで、こんなところ辞めてやると退社しました。

妻にも辞めたことを伝えたのですが、お金の不安もあり、できたら、職場に戻ってほしいと言われました。

妻は、今でこそ専業主婦ですが、働いていた時に職場からのハラスメントを理由に会社を辞めた経緯があります。

私の気持ちは理解してくれましたが、子どもができたばかりということもあり、なんとか、耐えてほしいと頼まれました。

一晩考えて、職場に戻るため、社長に頭を下げてお願いしました。

そこから、会社では無視され続けながらも、仕事を頑張ります。

私がこの会社にこだわることには理由があります。

先代の社長である父親は、私が学生時代にガンで亡くなっています。

父は、厳しい人でしたが、根はとても優しい人でした。

厳しい中でも優しさや愛を感じれる人です。

父が亡くなるのを幸いにも看取ってあげることができました。

父が最後に見ていたのは私の顔です。

父が亡くなる数日前、病院で父と2人で話す機会がありました。

父は、

「お前に託す。あとは頼む。」

と私に言ってくれました。

そのあとは、他愛ない世間話をしましたが、父のその言葉に重みを感じたためか、それ以外に何を話したか、全く記憶にありません。

父は、私に後を継いでもらいたいと願っていました。

直接言われて事はありません。

しかし、私が経営者になるように誘導していたのは、小さいころから感じていました。

「大変だけどなぁ、経営ってすごい面白いぞ。」

父の想いが強い言葉は、今でもはっきりと覚えています。

父は、経営がとても苦手でした。

しかし、お酒を飲むと陽気で強気になります。

そのため、お酒の力に頼ることも多く、結果ガンになってしまいました。

飲み友達も多く、そこからの関係で仕事をとってきたり、父が営業してとってくれたお客様は、今でもお得意様です。

葬式の時は、とても多くの方が線香をあげにきてくれました。

父が頑張ってきたことが、どれだけのことだったか、葬式にきてくれた人たちを見れば理解できました。

よく見るご近所さんや仕事関係の人。

ピーが入るような職業の人も来ましたが、涙を流して悔しがっていました。

ドラマでの葬式を見ているようなくらい人も来て、たくさんの方が涙を流してくれました。

これ程に一生懸命頑張ってくれた父が私のためにと残したこの会社は、私が継がなければいけません。

強制的にやらされているのではありません。

一度退社して考えさせられた夜に思い出しのは、父の言葉と、葬式で見た光景です。

恰好をつけているわけではありません。

自分がこの会社に来たい理由を再確認できたことが、何よりも貴重でした。

妻や子どもを路頭に迷わせるわけにもいきません。

現社長の意志など関係ありません。

私は、この会社のトップになります。

必ず。。

反撃の狼煙・・!?

私は、本気になりました。

この会社では、味方が1人もいません。

と思っていたのですが、私を心配してくれて協力してくれる後輩が声を掛けてくれました。

いままで、ずっと1人で背負わされ、1人で戦っていたと思っていましたが、うぬぼれていました。

私が、経営者となるならば、1人で戦うわけにはいきません。

善悪関係なく、この会社を成長し、結果を出すために、協力しなければなりません。

こんな綺麗事を叶えるために、経営を始めとして、様々なことを勉強しています。

前年あたりから、ようやく私の考えと行動に結果がついてくるようになりました。

今では、かなり強気で社長ともやりあっています。

だいぶ、心が強くなったようです。

誰に何を言われても心が折れません。

全力で戦い抜ける精神力が養われたようです。

嫌味も妬みも気になりません。

戦い続けてきた経験値ですかね。

何時間でも働ける能力をスキルとして見つけることができました。

これは、年齢によって落ちていくでしょうから、無理することを減らしていきます。

このタイミングでコロナにぶつかってしまいましたが、不思議とコロナにも負ける気がしません。

アイデアが次々と浮かんできます。

来年には、最高利益を出せる準備がようやく出来上がりました。

未来に向けて、進んでいきます!!

toogee-toogee

有益なサイトになるよう頑張ります。よろしくお願いします。

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