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令和時代はもっと近未来的な時代になると思っていました。
しかし、国と国での争いや世界的なウイルスパニック。。
平成時代には想像もしなかったような出来事が日常茶飯事で起きている現実に平和について真剣に考えさせられます。
特に国と国との争いについては、リアルな感情や想いを記録に残すべきじゃないかと個人的には考えます。
自然災害とは違います。
感情論なんてもので済ませていい問題でもありません。
なぜそうなってしまうのか、理由や背景をできる限り理解して、平和のためにどうすれば解決できるか真剣に考える必要があります。
令和という時代になり、ネット社会が日常で当たり前のものとなりました。
ある国で行われる長い長い戦争で連日メディアは埋め尽くされています。
世界のどこかでは、今も戦争が行われていることは、話で聞くばかりで自分からすると遠いところの話でしかありませんでした。
テレビ、ラジオ、ネット、SNS。。
ありとあらゆるメディアから情報が次々と流れていきます。
プロパガンダ、フェイクニュースなど、いろいろな情報があるものの、情報を幅広く、深く探ってみると、大抵の方は共通の見え方になってくるでしょう。
どちらが仕掛け、どちらが必死に守っているのか一目瞭然です。
今まで、本や映画などで植え付けられた印象のものが、そのままの形でメディアを通して映されています。
さすがに怖さを感じます。
映像に映る人々が死ぬことを考えたくないと願ってしまいます。
遠くの地で起こっている出来事なのに、目をそらさないようにしなければと自分の無意識の意思が反応します。
争いが始まって、私は守る側の国を応援していました。
時間が経つにつれ、その感情と考えが間違いであることに気づきました。
昨日、メディアに映っていた方が亡くなったと報道されました。
私は、負けなければ何かが救われると勘違いしていました。
必死に戦い、必死に何かを守れた一日なのに、ただの延命にすぎません。
運よく命拾いできた方がいれば、運悪く命を落としてしまった方もいます。
確実に生きていられる明日は、その場では誰も保障されていません。
時間の経過、イコール誰かの未来が閉ざされることに繋がっています。
私は、間違っていました。
勝つこと、運良く生き延びることが大事ではありません。
今日が良くても、明日の「生」は保障されません。
どちらの国が勝とうが負けようが、争いが終わらなければ、何も解決しないし、メディアに映される子どもたちや多くの人たちに平和が訪れることは、永遠とありません。
今日、争いが終わらなければ、明日、誰かが確実に命を落とします。
勘違いしてはいけません。
勝ち負けをはっきりさせることを突き進める限り、誰かが犠牲になります。
犠牲になった方の家族・関係者は、必ず誰かを恨みます。
最悪の負の連鎖です。
当事者以外の人ができることは、どちらかを応援することではなく、この争いを1秒でも早く終わらせることです。
私は、誰かが悲しむ姿を見たくありません。。
この争いは、間違いなく、歴史に刻まれます。
争いの歴史を経て、世界中で二度とあんな悲しい想いはしたくないと考え、想った先人の方は、少なくないはずです。
その歴史を学んだ現代の我々は、何も理解できていなかったということが証明されたような気がする。
争いというものは、きっかけさえ与えれば、勝手に大きくなっていくものだと改めて理解させられます。
情報一つで争いがさらに加速する。
加速した争いには、もはや正義は存在しません。
だから、簡単には止められないし、部外者は傍観するしかない。
世界で力のある国でさえ、止めることができない現実。
何が正義か。。
応援すれば、争いが加速する。
武器を送れば、争いが加速する。
誰かが亡くなれば、争いが加速する。
正論を語る方の発信の仕方で争いが加速する。
結局、自分も争いを加速させている人間に過ぎないかもしれません。。
だから、1秒でも早く争いが終わることを祈り、双方の国で不幸になる人間が増えないことを願います。